なかしんゴミ生活

雑な生活を書きます

「当たり前」が存在しないことがとても怖い

まいど

なかしんです

 

怖いものって皆さん少なからずあると思います

僕にももちろんあります

 

身近なものの中でも一番怖いものが

「夜中の信号機」

 

信号機は普通、点滅時以外は常に赤黄青のどれかのライトが点いていて、交通の整理を行っています。

歩行者用信号機の場合は赤と青。

これがあるおかげで、僕たちは進み、止まり、周囲を見渡し、急ぐ とたくさんの判断ができるようになります。

基本的には、垂直に交差する2つの道路を時間によって分断します。

更に、車が待っていることを認識して交通の流れを変える信号機もあります。

信号機がない交差点では、車や人が近くにいないか、向かってきてないかを確認し、通行することが習慣付いています。

信号機の表示に従うことは当然なので、「止まれ」(あなたが通る順番ではない)という指示に逆らうと「信号無視」となり、悪いことをしていると周囲に認識されます。

信号無視をすると、歩行者や自転車の場合少し後ろめたい気持ちになる程度です

車やバイクの場合は、警察が周りにいないかビクビクするでしょう

意図的にしたことはありませんが、黄→赤に変わるギリギリのタイミングでもこの状況に陥るので、おそらくもっとなるだろうなと思います

 

そうして街の治安を守っている信号機ですが、場所、時間、工事などの理由で「どこも光っていない」時があります。

ここでは「夜中はあまり使われない車道」を取り上げて話します

昼間は当然稼働しており、先に述べたような交通整理を行っています。

 

夜中になると三つ目と二つの四角をもった信号機たちは全て光を失い、ただの黒だけが私たちを見つめます。

静かな街にポツリと置かれた、死んだように目を開けて眠る信号機。

ついさっきまで生きていたのに、平気な顔して光っていたのに。

「どこかが光ってるはず」なのに、その光はどこにもない。

誰かを待ち続けていた信号機は今ここにいない。

誰かがいてもいなくても同じ周期で光らせていたあの信号機は死んでいる。

それを知っているかのように、夜の街は静まりかえっている。

 

怖い。

当たり前に存在しているものが目の前に無い時。それがたまらなく怖い。

黒に飲み込まれる感覚に陥りながら息を飲んでしまう。

もしかしたら、もうこの世界には誰もいないんじゃないかと考えてしまうくらいの孤独感に襲われる。

思わず泣きそうになる。何でもいいから光が欲しくなる。

逃げ出すようにその場を走り抜けて、静かに光る信号を探しにいく。

見つけた時、ようやく安心する。

あぁ、いつも通り生きてる。

一人じゃない。

そんな感情が体の中を駆け巡り、身体の芯から震えてまた僕の体を温める。

 

 

代えがきく信号機にさえこんな感情になるということは

身近な人がふといなくなったらどうなるんだろう

それを考えた時、初めて人のことを考えて寝付けない夜に出会いました

小中学校で、かけがえのない人 をテーマに様々な議論や作文、作り話などを授業や宿題で取り扱っていたようなことを思い出し、当時の自分は何か感じていたのだろうか と

自分の生きてきた環境に想いを馳せながら

これから先、いや 今現在も生きている身近な人たちが「当たり前」のようにそこにいる

それがどれほど安心できることか

いつ光が消えるかわからない、消える前のことを後悔したくない

そんなことをしみじみ考えていました

 

大事な人には、あなたが大事だ と素直に伝えておきたいと思いました。

 

静かな夜の中、灯る光は確かに存在する。

今日も夜は暗く、明日はまた明るい。

そんな当たり前に想いを馳せながら。